煎茶 花月菴会

花月菴の歴史

5.花月菴青坡(五代) 明治四十(1907)年~昭和五十四(1979)年

青坡は、明治四十(1907)年、四代楓谷の長男として誕生。十歳より祖父一窓、父楓谷につき、厳しい修業を行った。
昭和十四(1939)年に五代家元を継いだが、世相は第二次世界大戦中であり、戦時体制一色となっていたため従軍し、陸軍工兵大尉で終戦を迎えた。

青坡は戦後の荒廃の中で花月菴流の再興に努め、全国各地に支部を設立した。
また、戦後一般客を招いて行われるようになった京都建仁寺の四頭茶会において、表千家、裏千家と共に花月菴流が副席を務めるようになった。

昭和四十八(1973)年に「煎茶花月菴」(主婦の友社)を公表。
また「煎茶の掛けもの」、「花月菴の煎茶茶事」、「煎茶道具」、「売茶翁の墨跡」(ともに主婦の友社)も著した。

昭和五十(1975)年には、売茶翁生誕三百年を記念して「売茶翁集成」(主婦の友社)が刊行された。青坡は同著の編集委員を務めるとともに、売茶翁に関する様々な資料を提供した。

昭和五十四(1979)年、七十二歳で亡くなった。

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